小さい頃から

あの人の生き方をどこか上から見下げていたんだと思う

 

わたしは

あんな風になりたくないな

と当たり前のように思っていたのだろう

 

 

 

この年齢まで生きてきて

 

自分の道を生きることが本当によくわからなくなった

 

探して

行動して

修正して

 

何度も何度も何度も

リスタートをきっても

 

 

どうしても

形にならない

 

 

悔しい

意味がわからない

 

意味がわからなすぎる 

 

 

これほどまでやったのに

 

わからなかった

 

 

このまま進んでも

きっと

 

永遠に

 

『わからない』

 

が続くだけだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなんだ。

 

認めなくない、認めたくないんだけど

 

ほんと、今までこんなにも時間も心血も注いだけれど

 

 

 

 

 

結局、

『自分自身でバリバリ自分の道を開拓していくことに向いてない』

 

んだろうなぁ

 

 

 

 

あぁ

本当に認めたくなかった

やっぱりできることなら、認めたくない

 

だって、今まで何やってたの?ってなるもん

 

 

 

こんだけ、時間と労力と青春を使って

わかったことが

 

 

わたしには

「できなかった」

「分からなかった」

「形も結果も出なかった」

「自力でやる適正がなかった」

 

ということだとは。

 

 

 

 

その一方で

家のことをやっていると落ち着く自分がいる

 

洗濯

そうじ

整理整頓

料理

布団を干す

 

 

とか

身の回りの環境を心地よく自分のペースで

やりくりしていくことに安堵感がある 

 

 

もう仕事でくたくたになるより

そういうプレッシャー感じずに

快適に家のことやって趣味で自由に楽に創作を楽しんでいたい自分がいる

 

 

 

あああ〜

 

これって

この生き方って

 

 

わたしがずっと見下げていた生き方じゃないかー☆ 

 

 

ずっと見下げていた生き方に適正があるとは!

 

  

その生き方否定してたら、自分らしく生きていくことは無理だよなぁ 笑

 

 

別にその生き方を褒め称える必要はないけど

否定する必要もないよね

 

どちらの生き方もありで

生き方に優劣はなく

ただどちらの生き方もあり

とうだけだ

 

 

『どちらの生き方も選ぶことはできる』

 

ただ

 

『その生き方にはまるかどうかの適正というものがある』

 

 

 

適正を生きるほうが

自分の本質を生きることになって

結果として幸せを感じるかもしれないな☆

 

 

まぁ、両方やってみないと

本当に向いてるか向いてないかは分からない

だろうから

 

 

クッソ真面目に反対側をやってきたわたしの人生も

 

やっぱり

 

 

『これはこれでよし!』

 

 

 

と思うのであります(^O^☆♪